2011-06-02

裸のラリーズ:雑誌記事:「Marquee Moon」013号(1983年)

(コンサート評:1983年3月29日 屋根裏)  ここのところ、年に2~3回くらいしかその姿と音に接する事のできなかったラリーズが、今年に入って既に4、5回ものライブを行っている。そんな事からも今年のラリーズには、おのずから期待をしてしまう。
いつもながら気合いの入ったライブを聴かせてくれるラリーズだが、今回は久々に屋根裏に照明、ストロボ、スライド2台にそれにお香を持ち込んでのステージ だった。相変わらず演奏を始めるまでの間に流すテープのセンスはバツグンで、彼らの音楽に対する造詣の深さには驚かされる。

 ラリーズが登場する。ガーンと音が出てくる。やがて水谷氏が1曲目のコード を弾きだしてバックがガシッと入ってくるその瞬間!必ず鳥肌が立ち(本当は忘れちゃいないけど)忘れていた熱い血が騒ぐのだ。条件反射なんかじゃない確か な手応えだ。音楽ぐらい常に新鮮に聴きたいものだ。水谷氏はめずらしくサングラスを取ってのステージもラストの曲でアタッチメントの調子が悪かったため か、マイクスタンドを倒しギターを踏んづけてのラストだった。
 今回のステージ特に気が付いた事は、ドラムがオカズを入れていた事と、少し 前に1曲目にやっていた「夜よりも暗く」という曲を別の曲のメロディーにのせて、歌詞も少し変えてやっていたことだが、毎回の変化に客はもっと注意を傾け てもよいのではないだろうか。ラリーズは一度聴けばいいというバンドではないのだから。今回のライブの客もガラリと変わっていて、若い人が多かったのが印 象的でもあった。ここ何年かの間で若いバンドや新人バンドがライブをやることが比較的簡単になってきたのは良いことなのだが、逆にその状況に依存してし まって何のためのライブなのかを見失っているバンドが増えていることも事実だと思う。プレイヤーの層の幅も広がりテクニックも上達はしているのだが、せっ かく良い音を出していながら見た目のインパクトや存在感がまるで感じられないために音まで聴く気がしなくなる、といったバンドが随分増えてきたような気が する。音はもちろんとしてビジュアルな部分にも十分に気を遣ってもらいたい。ラリーズを観ていてそんな事を考えたのは、ラリーズがあまりに音楽に全力投球 だったからである。前述の照明などの機材に加え、専属のミキサーを毎回付けるという、自らの出す音に対する姿勢こそ見習わなければならないのは実は当たり 前のことなのではないだろうか。一回でもライブをやったことのある奴はこれだけの事がどれだけハードな事か判ると思う。しかし趣味ではなく純粋に音楽をや りたいのならば金銭的なことはもちろんとして音楽以外の全て事を潰してでも1回のライブなりを全うするべきなのではないだろうか。今のバンドは昔のバンド に較べると小粒だし昔のバンドに負けていると思う。
 それとラリーズは時代的な古い、新しいを完全に超えたバンドだと思う。時代 を肌で感じ取っていく事は大切な事だが、それを流行などとすり替えて新しさだけが先行し足が地に着いていない小粒バンドはラリーズとは比較にならないの だ。今年こそはラリーズのレコードが聴けることを祈って。(榎本)

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