2011-05-27

フリクション/1997記事:off note / cut out records 19970629

NO NEW YORK SELF HELP HAND BOOK HANDBOOK
■1997年6月29日発行 off note / cut out records
■(NO NEW YORKの再発盤に収録されたインタビューからレック自身の活動に関する部分を掲載)

 77年3月にNYに着いて、CBGBとかマクシス・カンザスシティとかのライブ・ハウスね、すぐ行き 出したわけだ、ま、それが目的だったしね、あ、でも、その前にNYに行っていた友達からチケット貰ったんだ、行く前の日に、イギー・ポップの。着いた翌日 にイギー・ポップのコンサート、『イディオット』出た時の、それ見て、それ凄かったな。まだNY怖かったしな、成田空港まだ出来てなかったし。NYの情 報って今みたいにないから、『タクシー・ドライヴァー』とかああいう映画しか。えらい怖いところだと、だから、着いた時からえらい怖かったよ。NY着いた 1、2ヶ月っていうのは、頭の中いろんなものが分泌されていたような気がするな。CBGBだってちょっとガラの悪いところにあったから、ほとんど毎晩行っ ていたんだけど、行く度に怖かったもんな。酔っ払いだらけなのね、路上に。で、声かけられたんだけどね、ジェームスがね、リディアと一緒だったんだけど ね、声かけたのは、ジェームス。「サングラス、かっこいいね」って言われたのは覚えてるよ。オレはずっとサングラスしながら、だったし、ま、単純に日本人 がいなかった、というのと、黄色いヤツがサングラスして、髪の毛立ててるから、そりゃ白人の中でも目につくよね。で、オレ、NY行ってびっくりしたのは、 もっとかっこいいヤツがいっぱいいるかと、毛立ててるヤツがいっぱいいるんじゃないかと思ったら、いないんだよ、ほとんど。ヒッピーみたいなのがまだ沢山 いたのはびっくりしたな。髪の毛切って、黒い服着てるやつの方が少なかったからね、うん。だから珍しがられたもんね。

NYって不思議なとこで、行く前は、パティ・スミスとかトム・ヴァーラインとかすごいスターだと思ってるじゃない。でも街歩いてるといるわけだから、う ん。NYって村みたいだよな、下のほうは、ヴィレッジって名前があるくらいだから。えらい狭いとこだよね、あそこ。それで、みんなCGBGとか毎日行って りゃ知り合いになっちゃうでしょ。例えばCGBGが高円寺にあるとすると、マクシス・カンザス・シティは阿佐ヶ谷くらいのとこにあるわけだから、その2軒 くらいしかないわけだから。当時はそこにそういうヤツらが集まっちゃってるわけじゃない、うん。

だから音楽をやりにいったわけじゃないんだ。とにかく何も考えてないよ。とにかくNYに行って、NYを見てみたいっていうこと。だけどオレ、バンドやっ てたから、何かあるかもしれないって、ギター持ってったわけだ。だからこれって目的が、何かをしようって目的で行ったわけじゃない。だから観光ビザでしか 入れなかったよ、3ヶ月の。で、声かけられたのは、すぐじゃないのね、2ヶ月くらい経っていたかもしれないな、だから、帰ろうと思ってた頃だよな、でも声 かけられちゃったから、そのまま居着いてしまったと。それがティーンエイジ・ジーザス。最初名前決まってなかったんだよ。オレが入ってみんなで名前考え て、で、ティーンエイジ・ジーザスになった。ま、リディアが考えたんだけど。マースはもう演ってたね、CGBG行ったらもう演奏してた。だけど、リディア とかと知り合いだったから、マースのメンバーとも知り合いになったと。でマースの友達にアート・リンゼイとかがいたわけだ。

で、オレが行った頃はアートも音楽やってなかったし。イクエちゃんは、ま、オレがティーンエイジでライヴやれば見にくるじゃない、そのうちにアートは自 分もやり出したいなと思うようになったんだろうな。それで、キーボードのロビンと組もうとして、で、イクエちゃんもいたから。ま、多分NYの連中って、音 楽が出来るとかじゃなくて、独特のものを作ろうとするから、だから日本の女のコをドラマーにしたら面白いんじゃないかっていう、そういうアイデアだと思う な。で、誘って、イクエちゃんそんなこと初めてだったけど、だけど面白そうだからって始めて。オレはその頃はもう、ティーンエイジがロンドンに行くって、 抜けたから。ちょうどその頃始めたんだな、イクエちゃんは。それがなかったらもう帰ろうかな、という話もあって、だから、逆になっちゃたんだな。それから もう20年、今では彼女はNYの母と言われてるよ。

とにかくジェームスとオレはティーンエイジ・ジーザスを一緒にやめることになったわけだ。それで、ジェームスは自分の、ジェームスには自分のバンドの構 想があったんだろうな、それでバンドを作り出して、やっぱり身近にいた人達を引っ張ってって、やりだして、で、ドラマーを捜しているっていうので、今日本 人でいるからって、紹介してあげて、で、ヒゲが入ることになったわけだ。で、オレはもうその頃そろそろ帰ろうかなと思っていて、自分のバンドを東京に帰っ てから作ろうと考え始めてたから。だけど、コントーションズのデビューのライヴだけは、オレがベース弾いたんだな、まだベースがいなかったから。で、ヒゲ はその後もコントーションズにいたから何回かやってるはずだよ。それで年が明けて78年になって、それでそろそろ帰るかなって時に、ヒゲも一緒に帰って来 ちゃったんだけど、あの時はどういう話だったんだっけなあ。その時には一緒にやろうぜって話ではなかったはずなんだけど、まあ、東京帰ってこういうのやろ うって喋ってたんだろうな、で、なんかわかんないけど、一緒に帰って来ちゃったわけだ。

だけど、ジェームスのバンドなんかは、コントーションズなんかは、ちゃんと演奏すると普通になるんだよ、あれ、うん。ジェームスは一番音楽的だしさ、そ れでジェームス・ブラウンじゃない。ただ、歌が下手とかさ、そういうんで変な感じが、うん。あとメンバーが、ただスライドやってるのがいるとか、そのへん はやっぱり違う感じになってるよな、パット・プレイスね。とにかく彼女のあのスライドっていうのがポイントなんだよ、ギターに関しては。あれは、元々マー スがやってたんだよな、一番最初は。で、リディアもやりだして。フリクションでもマッチャンが何曲かやってたよね、あれは面白かったもんな。あれはその辺 から持って来たんだけどね、だから、あれはギター知っちゃってる人がやるのは、やりにくいことなんだよね。だから、フリクションの場合は全然違うんだけど ね、ずっと音楽やってきた人達だから。それをオレはNY行って、そうじゃない人達が出したアイデアを貰ったということだ。

0 件のコメント:

コメントを投稿