2011-05-27

フリクション/1990記事:Player 1990

FRICTION RECK
■インタビュアー Yoshiko Kowakita氏、Player、1990
■(インタビュー記事よりレックの発言部分を掲載)

(新生フリクションの抱負とは)
あんまり考えてないんだけどね。ラピスとか10年振りに戻るし、簡単に止めないようにしようと思ってる。(意図やしかけは)何もないよ。結局メンバーも 替って、次何やろうっていう実験は自分の中で常に行われてたんだけどね 、レコードを作る迄いかなかったんだな。
俺はね、同じメンバーでバンドを演っていても、それぞれが他の人と出会って別の活動の場を持つべきだと思うのね 。バンドが固まって全部が内側向いているのって好きじゃないわけ。今フリクションとは別に近藤等則のバンドでギ ター弾いてるけど、'82年以降の自分の中で"何かが動いてない時期"にレコード屋で偶然彼のトランペットが鳴り 響いているのを聴いて感激したね。その後会って一緒に演るようになったんだけど、そういう出会いが大切だと思う よ。ジョン・ゾーン、アート・リンゼイとの出会いもそうだったし。だから、フリクションで何をやってやろうとか ではなくて、人との出会いの中で音楽自体がおもしろくなってきたんだね。そしてその事が俺を動き出させるんだと 思うよ。

ロックって言葉は好きだけどね、特にロック・スピリットはないね。俺がNYでバンドを演ってた頃はね、バンドっていうのは誰でもできるって思っていたわ け。実際、ミュージシャンでない奴が音楽を演っていたし。絵を描いてた奴がね、今はペインティングよりギターの方がより表現できるからといってね。つま り、アイデアなの。アイデアをいかに音にしていくか、例えば、基本のチューニングじゃなくてその人自身のチューニングがあってもいいんじゃないかとかね。 そういう点からすると、今のバンドは似たり寄ったりだな。ボディ・コンの女の人が増えたのとバンドが増えたのは同じ事なのよ。
東京で見る風景と同じだよね。汚いものとか汚い人がだんだん失くなってきているでしょ。毒気のあるものが風景か ら消えてる。その中で育てばそうなるんじゃないかな。ただ、俺は好きじゃないな。

うーん、日本人がそもそもロックには向いてないとは思う。反応が同じなのね、どこへいっても。個人の反応ができ ない。例えば、外国では皆が座ってる場所でも立って踊りたければ一人だけそうしてる光景ってあり得るでしょ。日 本ではまず考えられない。それがキリスト教の国で子供の頃から"you"と育てられた違いかなと思うね。だから日本 の客は全体が同じでつまらないと思うこともあるよ。それに今はロック・バンドのコンサートが宴会と同じレベルに なってきてる気がする。

そういう風に受け取ってもらえると嬉しいね。一見無関係なような言葉が続くことによって、そこからイメージが生 まれる事ってあるからね。ただ、イメージを浮かばせようと思って作ってるわけじゃなくて、その言葉がポンと入っ ていく人には入っていけばいいと思ってる。人間は言葉によってすごく生きてくるんだよね。向こうの黒人は言葉を よく発見するでしょ。胸の中にある感情をコトバで作り上げて表現できる。例えば、日本の男の子がコンサートへ来 てもっと演奏して欲しいとする、そうすると何て言うだろう?もっと、もっとやって?どちらも変だよね。 そう、もっとハートにフィットするピッタリくる言葉があると思うわけ。たいがい"もっと演れ"って命令調になる。 もっとFunkyでもっとフィーリングに合う言葉がでてくるとおもしろい。ほめ言葉でも、よかったかすごかったかの どちらかなんだよな。NYだとgood-great-very greatそれ以上いくと汚い言葉 - shitとかがほめ言葉になったりする。ロック・バンドは増えてるけどそういう感性を持つバンドってない気がするな 。 建物と服はかわっても体質は変ってないんだろうな。

音楽―プレイする事にここで終わりっていう限りはないんだよね。だからバンドやっててラッキーだと思うのは、演 れば演るほど発見がある。ちょうど底も天井もない状態かな。10年前に比べるとフィーリング的にはもっとうちへ deepになってきていると思う。昔は来てる客に向って全部ぶっつけてきたけどね、今は演奏してる中でのバンドとしてのアンサンブルがすごく大事になって きてるかな。
ただ、今のメンバーは非常にぶつけ合う作業ができていいよ。音楽でケンカも出来るし、話も出来る。 ひとつだけ憶えているのは、フリクションをやる前の3分の3というバンドで大学祭の野外ステージを演ってる時、もう言葉ではいい表わせない位いい気持ちに なった。ギターを弾かずにその場に立ってるだけでそれだけでとにかくいいの。滅多にないことだけどね。メンバーの出してる音に完璧に満たされてる。今だっ たらナチュラルハイって言うのかな、あの状態は。

音楽は不思議で、どんなに疲れていても音楽をやると気持ちよくなるのね。音楽ってビートだからね。心臓のドクッ ドクッっていうのもビートでしょ。皆誰もが持ってるものだしね。だから音楽は病気を治したりとかいろんな用途に 使えるんじゃない。
子供でも放っておくと何かしら叩いたりしてるしね。実際、ロック・スピリットなんてそんな所にあるかもね。人間 は動物だからね、多分誰もがどこかにもっと野生というかワイルドなものを持っていると思う。今はそれが隠されて 埋もれてしまっている気がする。最近溢れているロックには、毒気のようなもの-野生とむすびついている何かが余 りにも稀薄になってきているね。そう、キレイでつるつる。もっとザラザラした何かが欲しいよね。

うん、日光に"見ざる・言わざる・聞かざる"があるじゃない、あれの本来の意味はどうなのか知らないけど、意識し て見ない、意識して聞かないという姿勢は必要だと思うよ。だって周りの情報量って凄まじいものがあるでしょ。そ して歩いてみよう、捜してみようとする事ね。誰もが行かない裏道が面白そうかなと思う感性が大切だと思う。今は 全てが受け身だから。吟味する暇がないんだね。だからあえて~する事が重要になってくる。
日本だけでしょ。いつの頃からかロックが子供向けになって、又若い子が金持ってるもん。何故だかしらないけど。 ロックが氾濫して逆に耳が退化してるかもよ。
そう、自分の知らない世界、恐いけど魅かれる、そういったものがなくて、全部平らで全部見えてて何の不安もない -その方が逆に恐い。音楽にも神秘性が必要でしょ。要するに魔法-マジックなのよ。ビートで人は踊るし気持ちよ くなるし、人間も電気を発してるからね。

(10年前のフリクションを見たという発言に)
そう?でもユーモアのあるバンドだったでしょ。説教ぽくはやっても全然シリアスじゃない。俺達をみてバンドを始 めた奴も多いみたいよ。
俺は、やっぱりジミ・ヘンかな。モンタレーのライヴなんて信じられない程クレイジーでしょ。ライヴは聴衆とその 場で一体になれる-非常に宇宙的だよね。俺もジミ・ヘンからもらったものを出している-いろんな出会いの中で得 たものを自然にね。単純なことだと思うよ。ジョン・ゾーンなんてNYと東京を行ったり来たりして自分のバンド、 ピースにヘビメタからギターつれてきたりジャズ系の人入れたり。出会いを音楽に実践してる人間じゃないかな。

音楽は全く何かが失くなる所だね。男と女でバンドやってても通常の男女間の意識を越えちゃうし、本音でぶつかり 合えるしね。ところで、今度のライヴ・ビデオはもう見た?石井さんもロックは最近撮らないらしいんだけど、俺が 声かけたらOKしてくれてね。あれ見てて久々に感動したよ。NYから帰ってきて感動したのは近藤等則のペットと あのビデオかな。いや、石井さんの腕前に感動したんだよ。

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