2011-05-30

裸のラリーズ:雑誌記事「ヤング・ギター」1973年 11月号

グループ紹介 “空を駈ける”裸のラリーズ
「時代は変わってしまった」

「裸のラリーズ」。レコードはまだ出ていない。彼らの活動の場はこの間閉店したOZなどのロック喫茶や野音など。だから彼らの生演奏を聴いた人の数は、さほど多くはない。それでも彼らの噂はどこからともなく聞こえてくる。
結成は68年、京都。「裸のラリーズという名に特別な意味は持たさなかったし、解釈のしようもなかった。でも、いつのまにか色んな意味を持ってしまった。」と、リーダーの水谷君は語る。
京都時代、彼らは「現代劇場」という劇団と一緒にやっていた。といっても、バック音楽を演奏していたというのではない。「僕たちの演奏って、1曲で1~2 時間かかるものばかりで、ラリーズ対現代劇場って感じだった。ドラムスがジャズをやってたんで、あらゆるリズムの曲をやった。客の反応? 受けたっていう よりたまげたって感じだった。」
その後、京都でリサイタルを開いたりするが70年に入って「京都版裸のラリーズ」は解散。水谷君は70年暮、東京に出てくる。
「京都にいる時点では、やりたい事はやったと思った。だけど今はそう思えない。あの時の事を今、考えても、あの時点とはもう違う。でもーーもう過ぎてし まったことだから。」彼は「今」だけしか考えない。過去は彼にとって「もう過ぎ去った事」であり、未来の事等は考えたってわからない事なのだ。
2・3か月前、彼は「時代が変わりつつある」と語った。
「でも今ではそうは思わない。時代は変わってしまった。身体の中で感じる事、それが身軽になったって事かな。重く感じてた事? 安保とかーーいっぱいある でしょ。」突如として「安保」なんて言葉が出てきてこちらがビックリしてしまう。「政治問題なんてあまり興味はないけど。」こちらを脅かしておいて、それ 以上は話してくれない。「ただ、僕が一番初めに音楽をやり始めた時、ギターでデカイ音出したら、日常的なアカみたいなものが落ちたような気がした。それ も、何年か続けてやってるうちに、けっこう重くなってきて、それでシンドクなってきたって事もある。又、その重さが無くなって、言葉で言うと同じなんだけ どーー色が違うっていうか、音の方がもっと暗かった。だから今は、音も軽くなったみたい。」

どこまでも、ぶっとんでいきたい

生活する手段としての音楽は?と尋ねると「きついですね。でも何とかやりたい。やりたくない仕事っていうのは今は別にない。成り行きですけどね。やらな きゃならない時はやるでしょう。今の時点じゃそういう事はない。歌い出せばどこでも同じ。雰囲気は関係ない。」
では、今まで語ってくれた事は、水谷君個人の考えなのか、それともラリーズとしての意見なのか。「多少のズレはあっても、僕らのバンドの望む所は1つだか らーー。」それは?と尋ねると「ただ、ぶっとんで行きたいだけーー」と言う。確かに「ぶっとぶ」のに、場所や客は関係ない。彼ら自身の問題だけだ。
この辺でインタビューを終えようと思ったところ、水谷君が言った。「インタビューって、好きなアーティストは?なんて聞かないんですか?」では、ご希望に 応えて、好きなアーティストは?「やっぱりボブ・ディラン。ビートルズは時には楽しいと思うし、ストーンズはカッコイイとは思うけど、それだけ。ソウルは ノルけど好きじゃない。」中村君もだいたい同じだという。よく聴くレコードは別になし。中村君はレコードがなくちゃわからないと言う。もしラリーズのレ コードが出たら?「その時は、そればっかり聴くでしょう。」
裸のラリーズ、彼らが本当に、どこまでもぶっとんでいけるかどうかは、わからない。しかし、空を駈けられるかもしれないグループ、とは言えるだろう。これからの活動が、それを明確にするとしか今は言うことが出来ないがーー。(A.I)

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